2010年3月31日水曜日

接触者検診2

姉と甥2人の接触者検診があった。小学生の甥っ子はツベルクリン反応。姉は血液検査。
その血液検査がとんでもなかったらしく採血の途中で

「あ、空気を抜くのを忘れた。これ以上血液がとれません!」

と、針だけ残したままあたふたしたり。結局、違う腕でやり直したらしく両腕が腫れてた。
ちょ、ちょっとしっかりしてー。

姉の子供達(小学生の少年2人)は保健所の医師に


「さあ、どっちから先にしようかなぁー 」
と言われて、後ずさりして押し付け合ったらしい。。

帰りにマックのテキサスバーガーを買ってもらって大喜びしてたけど。

負担かけてごめんね。

2010年3月29日月曜日

ご挨拶3

今日は検診が入った仕事先にご挨拶に伺った。今日の所が最後。メールで退院のご報告はしていたのだけれど、ご挨拶は行かないとと思いつつなかなか実現してなかった。

最近、お菓子折りで気に行っているのが叶匠寿庵。
季節を取り入れたオリジナルのお熨斗がとにかく可愛い!
窓口にいって名乗ると、奥に入って相談して、担当の方が出ていらした。
メールでやりとりをさせて頂いていたので、お会いするのは初めて。

私「この度は大変、ご迷惑おかけしました。」
担当の方「いえいえ、大変な目にあわれて。もう大丈夫ですか?」
私「はい、もう退院していますので。」
私「検診とかは大丈夫ですか?」
担当の方「はい、違う部署でやっているのですが、検診もちゃんと受けているようですし。」
私「ご迷惑おかけしました。」
担当の方「わざわざご丁寧に。ありがとうございました。」

ご挨拶、終了。。
ぎりぎりになってしまったけれど、伺ってよかった。

2010年3月28日日曜日

快気祝い2

Sさんと横浜で快気祝い。たまたま、窓際が空いたらしく、とても見晴らしがいい席に案内してくれる。お料理も美味しく、景色もよくて、とても素敵でした。退院してよかったー。
Sさんはお医者さんなので入院前~退院まで相談にのって励まして下さった方。今日も今までもありがとうございます。
八寸
焼き物
お刺身
煮物

梅酒

天麩羅
お食事(筍ご飯)

2010年3月27日土曜日

BeforeAfter1

結核になってから変わったこと。どちらかというと入院生活の影響が大きいかな。

・ どこでも歩くようになった
・ 栄養を考えて食事をとるようになった
・ サプリメントをとるようになった(薬のむときに一緒に)
・ 痩せた
・ 家族や友人との関係がよくなった(一部の人とは悪化)
・ 心身ともに無理しなくなった(病気になるのはもういや)
・ 記録魔になった
・ 健康と医療に興味がでてきた

まだ治療中だし、体力がないので
・  前よりずっと疲れやすく、ちょっとのことで体調が悪化
・  空気に敏感になった
・  なるべく用事を減らして遠くにいかなくなった
・  メールのリプライをしなくなった(今までもしなかったけど)

2010年3月26日金曜日

入院期間2

入院中の気の持ちようは本当に難しい。

入院期間が長引びいたり、陰性が出たと思ったら
次の検査で陽性になり、退院のめどがなくなると
怒りっぽくなったり、わがままになったり、 身体が痛みだしたりする。

私が居た時、4カ月以上入院している人が4人いらした。
そのうちの一人、恐ろしすぎるI様は長期仲間の一人
Sさんが退院した次の日、ディルームに出て来れなかった。
 

理由は「身体中が痛いったらありゃしないよ!!」
だったけれど。。ストレスだったと思う。


私も今でこそ「入院もいい経験だった」と思うけれど、
入院していた頃は毎日「いつ出れるんだろう」と思ってた。


やっぱり隔離病棟だし。


塗抹検査前はスト レスで胃は痛いし、ご飯は食べれないし、
寝れないし、騒ぐし、落ち着かなかったなぁ。
あれが続いてたら。。。凶悪化してたと思う。


恐ろしすぎるI様が今月末に退院がきまったとの事。
3月に入って、塗抹検査で初めて陰性が出た時は泣いて喜んでOさんに報告にきたらしい。


5カ月も入院して、糖尿病の制限もあって、先が見えずに辛かったん だろうな。
恐ろしすぎると思った事もあったけれど。

I様、本当におめでとうございます。

入院期間1

昨日、元同室のOさんから電話があった。

Oさんは一度塗抹検査で陰性が出ているから
「もう一度塗抹検査で陰性が出たら退院」
という状況。

退院決まったらお花贈りたいと思っていたのだけど。。

Oさん「私、がっかりしちゃったわ」
私「どうしたんですか?」
Oさん「検査結果、陽性ですって」
私「ガフキーは?」
Oさん「7。」
私「えええ。」
Oさん「私も退院のつもりで鞄もってきてもらったりしてたのよ」


主治医がこの春移動で、塗抹検査をすっかり忘れていたらしく一週間遅れで検査。
ようやく新しい先生が決まっても中々いらっしゃらなくて、
検査した翌日の消灯前に初めてやってきたと思ったら 

「検査の結果は陽性です。」

の報告だったらしい。
前向きで明るいOさんもさすがに、がっかりしていた。
そりゃあそうだよーーー。


明日退院するつもりでいたのに、最短でもあと1カ月は入院しないといけないなんて。
お電話では明るかったけど、昨晩は寝れなかったらしい。
私も少しは気持ちがわかるだけになんといっていいのか。

一度陰性がでても、その後また陰性がでるとは限らない。

私が入院中に一度陰性が出た次の検査で、陽性になった人は3人いらした。
うち2人はリタイアされた方だから、焦ってはいらっしゃらなかったけど
傍目からもわかるほど、落ち込んだり、イライラしてしまう。

Oさんが少しでもいい時間を過ごせて、退院できる事を心よりお祈りしています。

後記
入院期間は軽く見えても、中々出れなかったりするし、
重症に見えてさっさと退院する人もいる.

私が知っている限り最短は1カ月(ネパール人のKちゃん、大学生男子)
長い人で半年位
私は排菌量が多く、空洞あり、石灰化しているため「最低でも2カ月」といわれていたけれど
入院(ガフ キー10)→陽性(ガフキー4)→陰性(0)→陰性(0)→退院
で6週間で退院した. 

逆に、Kさん(40代男性)は20キロ位痩せて(骨と皮状態)
肺に水もたまっていて、毎日熱が出て、胸も痛いと毎晩鎮痛剤のまないと寝れないのに入院(ガフキー10)→陰性(0)→陰性(0).本人は最短の1カ月で退院しようとしていたけれど、明らかに菌がありそうで、主治医判断で出してもらえなかった。
案の定、次の検査では陽性(ガフキー5)。結局2カ月半位で退院された。

主治医の先生に「ガフキーに一喜一憂しないように!!」と何度も釘をさされていたけれど、、。
やっぱり検査前後は大騒ぎしていました。

2010年3月22日月曜日

快気祝い1

快気祝いに友人が焼いてくれたブルーベリーパイ。
とても上手で、美味しかったです。 ありがとうー。

2010年3月20日土曜日

恋愛(続き)

Hさんは一度だけ結核病棟に来た看護師さんに
一目ぼれして、忘れられなかったらしい。


Hさんも男気を出して、告白をすることにした。



一度しか病棟に来たことがない看護師さんだから病棟にくるなんてほとんどない(システムしらないけどたぶん)



退院許可でているのに4,5日後ねばり、これ以上延ばせずに

いよいよ退院する日がやってきた。


(神様もおちょくったのか)
あまりにも出来すぎたタイミングで


その日、お目当ての看護師さんが結核病棟にやってきたらしい。


挙動不審のHさんが看護師さんを手招きする。


何もしらない看護師さんはにこにこしながらHさんの部屋へ入っていき



そして




(緊張の空白)




しばらくして



看護師さんは真っ赤な顔をして出てきたらしい。



Hさんは無事、告白をして振られ、傷心のまま退院していったそうです。


毒舌I様によると


「Hさんの家には、電話もテレビもないらしいよ。今時あんな所に嫁に行く人なんかいりゃしないって。」


いや、その(ずーーっと)以前の問題です。
看護師さんって身心ともに大変で、本当に頭が下がります。。

恋愛

遠藤周作の本などでは昔の結核サナトリウムでは患者同士の恋愛や結婚などもあったらしいのだけれど。


今は


1) 90%以上が高齢者
2) 患者同士の交流はあまりない(高齢者以外は部屋にこもりがち)
3) 昔に比べて入院期間が短い
4)薬飲めば治るので悲壮感なし



なのでありえない。




と思っていたんだけど



以下は私が退院してからの話(患者仲間に聞いた)。



Hさん(60代独身男性)は4カ月位入院していた人で、いつもディルームで同じく長期入院仲間と食事したりテレビをみたり、ヒマとかご飯がまずいとか、愚痴をいいあっていた。


私が退院する日の朝、ディルームの冷蔵庫に行ったら

「いいねぇ、おじさんはいつでれるかわからないよ。はぁー」大きくため息をついていた。

ところが、Hさんは私が退院直後に、2回目の陰性出て退院となった。

念願の退院がきまったのに

「急にいわれても。。」

とモゴモゴいって退院を先延ばししている。

あれだけ退院したがっていたのに??

と周囲は不思議がっていた。

Hさん退院したくなかったのは


なんと



「好きな人がいたから」

2010年3月17日水曜日

退院2

昨日、ウォーキング仲間のK君からやたらもったいぶったメールがきた。こんなかんじ。



さっき先生がきて



検査の結果は



陽性....




ではなくて陰性で明日退院です。




なによー、よかったじゃない!そして今日無事退院したらしい。
K君は雨・雪の日以外はほとんど、15000歩をクリアした模様。私の指導が良すぎたのかなー。
その後、Iさんからもメールがきて、Iさんも引き続き明日退院するらしい。なんか春らしいいいニュースだなぁ。みんなよかったー。あとは、私と元同室のOさん。さっき激励のメールを送ったら電話がかかってきてちょっとお話した。とてもお元気そう。Oさんが無事、陰性出してみんなでご飯食べにいけるといいな。

ご挨拶2

今回の件で、ご迷惑をかけてしまっていた方々にご挨拶にいく。今日で3件目。
何にしようかとても迷ったけど、結局

1 I先生 →ワインとお菓子
2 事務の方 →お菓子

いつもお世話になっているI先生にはサンテミリオンとお菓子。去年、ボルドー郊外(ラスコー洞窟に視察)に行ったので懐かしいかな、と思って。I先生は先週パリで学会があり、帰国したばかりらしい。

私「ご迷惑おかけしました」
I先生「大変だったねー。私もまだ健診受けてないんだけどね。」

S区は各自が保健所にいくらしい。I市では保健所の方が大学にきて、集団健診したらしいのだけど。今回のお話をちょっとして、あとはずーっと癌とベルばら仏語翻訳版でやたらと盛り上がる。
オスカルがフランス語で女性形か男性形かが大問題らしい。I先生、読み込んでる。さすがー。
今回、保健所や接触者検診の対応をして下さったKさんにもご挨拶。

私「ご迷惑おかけしました」
Kさん「いえいえ、お元気になられて本当によかったです。」
私「あとは、健診で何事もないのを祈るばかりです」
Kさん「でもまだあまり健診に行ってないようで。。余談なのですが、先生からご連絡ある2,3日前、中高等部で学生さんがひとり罹ったって連絡があったんですよ」
私「えー。」
Kさん「それが先生とお名前が同じだったんです」
私「えええー。」
Kさん「私たちもどっちがどっちか混乱しちゃって(笑)よくあるお名前でもないですよねぇ。」
私「感染しやすい名前なんでしょうかねー(笑)」

退院直後は会う人毎に「どうしたの!!」「痩せたねー」といわれたけど、今は「お元気になられて」といわれる。体重も2キロ増えて、顔色も戻ったらしく復活したみたい。

2010年3月15日月曜日

副作用

「副作用は退院してから出ることもあるんだって」
と同室のAさんにもきいてたけど。
内服が長期にわたる方が身体に悪い影響が出そうな気はする。

2剤になったせいか、足にずっとあった発疹は消えたのだけど
昨日あたりから、足がつったり、手足、腕が痛い。
これはイスコチンの副作用→”手足のしびれ(末梢神経炎)”かな。

予防するためのピドキサール(ビタミンB6)は飲んでいるけれど。
食べ物でビタミンB6含有量が多いのはお魚(まぐろ、カツオ、鮭)お肉(レバー、鶏、豚、牛)、お海苔、きなこ、ピスタチオ、バナナ、プルーン、にんにく、抹茶らしい。気をつけて食べてみる。

いい意味の副作用もあって、いつも悩まされていた持病(PMS)に偶然、ピドキサールが効いた。サプリメントは結構効くみたい。今まで苦手だったけど服薬の癖がついているし、この機会にサプリとってみようかな。

2010年3月12日金曜日

お見舞い5


お見舞いに頂いたお花とチョコレート。

受煙喫煙

久しぶりにIさんにお会いする。
「いつも会っている場所の方が気楽だから」という理由で私のリクエストで
行ったのだけれどお店が分煙していなくて喚起も悪い。
Iさんは私の体を気遣って、違う場所を提案してくれて
いたのだけれど。

やっぱり、煙草の煙がひどい。
途中で息苦しくなったのだけれどお店は変えず。
煙が髪が洋服にも染みついてしまい、具合も悪くなる。

その翌日、朝起きてから大変だった。痰が止まらないうえに、咳もでてくる。
痰に色がついて、血痰まででる。
一日中調子悪くなって予定もキャンセルした。

あまりにもクリーンな環境(病院)にいたせいで敏感になっているのか
まだ結核治療中のせいか。
その両方なのかも。

2010年3月9日火曜日

2カ月終了

今日で治療はじめて8週間。
薬4種が終わり明日からは2種になる。
イスコチンとリファンピシン
補助でVB6のピドキサールと胃薬のムコスタ。
今日は随分、回復したような気がする。
先週は不眠症が治らなかったし、具合が悪かったけれどよくなっている。

2010年3月5日金曜日

初の外来

今日は初めての外来の日。
予約は10時からだけど、診察の1時間前にきて検査を済まさないと
いけない。
病院内懐かしいー。検査以外ほとんど病棟にいたから
こんな風になっているんだ!と新鮮。

まず60番へ。痰の容器をだして、血液検査。
血液検査は今回の入院でさすがに慣れた。
今までは目をそむけていたけれど、血管に針が
通っていくのも普通に見る事ができる。
その後、40番でレントゲンを撮って、写真を受け取ってから外来の20番へ。

待っていると、看護師さんがきて、退院後の生活について
尋ねられる。「体調が悪化した」と訴える。
元同室のAさんもやってくる。ちょうど外来が同じ日。

診察を待つ。塗抹検査もあったのでちょっと緊張する。
陽性が出て、回収されたりしないよね。
番号を呼ばれて中に入る。

先生「どうですかー。」
主治医の先生、1週間ぶり。なんか感じが違うのはマスクしてないせい?
私「退院した方が調子悪くて入院する前みたいにすぐ具合が悪くなって咳がでます。」
先生「入院しているときほど、寝たり休んだりしてないので体力も落ちているでしょうし」

先生「今日の検査結果ですが全く問題ないですよ。」
血液検査の結果を下さる。
先生「こちらが栄養でこちらが肝臓の値。どちらも全く問題ないです。」

レントゲンとCTを見せてくれる。
先生「レントゲンですが、これが1週間前でこちらが今日です。
以前のは保健所に貸出をしているので。」
私「今日の方が悪化してる。。」
先生「どこが?」
私「今日の方が白くなってませんか?」
先生「いや。変わりありません。」
私「えー。」
先生「ここの心臓の隣に穴があるんですね。レントゲンでは映らない」
私「あ、たしかにここから白くなってますね。このレントゲン画像をみたら肺炎と思いますか?」
先生「他の症状があればそう診断しますね。」
私「塗抹検査結果はでないんですか?」
先生「明日ですね。(菌が)出たらお電話をするので大丈夫ですよ。」
私「えええー。菌がでることありますか?」
先生「ないとはいえないけれど、9日で二カ月でしたっけ?2カ月内服していれば大丈夫だと思いますよ。」
私「肺が左右で大きさが変わったりしますか?」
先生「治療の過程でそういうことはあるでしょうね」

私「息ができないんですけれど」
先生「気のせいだとおもいますよー」
私「ええー!! 本当に息ができないんですけれど。違う病気かなあ。」
先生「変なこといわないで下さい。ひゅーひゅー音がするとかありますか?」
私「ありません。」

私「9日から2剤になるんですか?」
先生「2剤と3剤で違いがないという結果が出ているので。僕が決めているわけではないのですが。4剤から2剤になるのが主流になりつつあります。」
私「そうなんですか。」
先生「エタンプドールが視神経に障害が出るので」

私「3剤にする人ってどんな人ですか?」
先生「うーん、先生によったり。従来通りでいくとか。」
私「今朝飲んでいるんですけれど、忘れて夜飲んだときなど、次は何時間あけないといけないとかありますか?」
先生「気付いたらちょっと時間をあけて、朝のところをお昼にするとかした方がいいかもしれませんね。」
私「一日忘れた分を翌日2回飲むとかはダメなんですよね?」
先生「ダメです。というより一日忘れるという考え自体が間違っている。」
私「先生、相変わらずですね。」

私「そういえば、診断書を書いて頂けますか?」
先生「いいですよ、今書きましょうか?ただ事務を通さないと渡した、渡さないという話になるので。」
私「仕事上、”他の感染の危険がない”という一文が必要なんです」
パソコンがうまく作動せず。手書きで書いて下さる。最初2通といっていたけれど取り急ぎ必要なのは1通なので、1通にする。

私「培養検査ですが、1月26日分はこけて2月9日分はまだ大丈夫なんですよね?
先生「はい、まだ生えてません。」
私「飛行機ってその公衆衛生の理由以外で、肺が気圧でつぶれるとかないんですか?」
先生「ありません。」
先生「次なんですけれどどうしますか月曜日か金曜日」
私「金曜日の午前中がいいです。」
先生「塗抹検査の容器を60番でもらっていって下さい」
私「私はその場で出るので大丈夫です」
先生「本当ですか?唾液じゃだめなんですよ」
私「わかってます!笑 ありがとうございました。」

病院前の調剤薬局で薬を受け取ってからAさんと念願の?インド料理を食べにいった。

その後、私は病棟へ遊びに行って、同室のOさんと中庭でお話をする。
ウォーキング仲間のK君と中庭を歩いて、息ができないほど笑えた。
OさんもK君もIさんも、Tさんも皆陰性が出たらしい。よかったー。
病院出たのは16時すぎ。家族が再入院になったんじゃないかと
心配して電話をしてくる。

2010年3月2日火曜日

保健所

その日は病院の検査を終えてから、保健所へ。

入院患者は退院後、なるべく早く保健所に行かないといけない。公費申請のための書類(医師の意見書、レントゲン、健康保険のコピー、住民票、所得証明)を提出する。

担当保健師のSさんはとってもいい方で、今回も早く退院できたことを喜んで下さる。
今までお世話になったお礼を言って、提出書類や接触者検診で感染者がでた場合の対応などを相談をする。

患者仲間から、保健所で服薬手帳のチェックが毎月(毎週)あると聞いていたので

私「今後、服薬手帳をもってこちらへ伺ったりするのですか?」
Sさん「いえ、大丈夫ですよ。お薬ちゃんとのまれますよね?心配な方には来て頂いたりもしていますが。こちらからたまにお電話をして様子を伺う事はあるかもしれません。」

内服をやめてしまうと、薬に耐性が出来たり、病気が再発する可能性が高いので病院と保健所がトレースをする。1人暮らしでDOTS(服薬を監視する人)がいない方、ご高齢の方など「内服を止める可能性がある」と判断されると保健所の管理が強化される。

ただ、管理の厳しさは保健所によるみたい。
元同室AさんのK市の保健所は厳しい。Aさんはご家族もいるし、しっかりした方なのに10日毎に保健所に通っている。心配な方だと毎日保健所に来てお薬を飲まないといけないらしい(お薬を飲む人のための椅子もあるとか)。

乳腺センター受診

入院時のCT検査で、胸に影が見つかった。主治医の先生が書いてくれた紹介状とCTの結果を持ってO中央病院へ検査にいく。

久しぶりに出歩くとまだフラフラする。病院に着いて、受付で手続きをすると
受付「乳腺センターは予約が必要です。」
私「えー、HPにそんな事書いてなかったのですが。」
受付「お待ち頂ければ、本日受診できますが時間はかかります。」
私「予約する場合、最短でいつになりますか?」
受付「3月8日か9日になります。」
私「じゃあ、今日待ちます。」


といって、受付をしてもらう。乳腺センターの評判が良い病院だけあって、すごい人。問診に結核の事も書いておく。1時間程待ったら名前を呼ばれて部屋に入る。

CTをじっと眺めて
先生「向こうでマンモグラフィ撮らなかったの?」
私「撮ってません」(向こうって、入院していた病院のこと?)
触診では特に異常なし。続いて念のために、マンモグラフィ、エコーをとる。

マンモグラフィって痛い!!うぐぐ。我慢して、痛みを堪えてなんとか撮影したけど、こんなに痛い検査なのね。マンモもエコーも女性の先生(技師さん)だったからまだよかった。

再度、診察室に戻ると、マンモの写真をじっとみながら
先生「問題ないですね。」
私「よかったー!じゃあ影はなんだったのでしょうか?」
先生「正面からみると影になっている部分、角度を変えてみると、何もないでしょ?乳腺は左右同じではないから」
私「そうなんですか。(あまりよくわからないけれど、とにかく、乳がんでないらしい)。ありがとうございました」

やっと退院したのに、これから乳がん治療だったらどうしようかと思った。
よかったー。

2010年3月1日月曜日

ご挨拶1

退院した翌々日。 一番迷惑をかけた仕事先へお菓子折りをもってご挨拶。

私が仕事が途中でできなくなってしまった事がやっぱり問題になっている。
そりゃそうでしょう。問題にならない方が問題だから当たり前だし、仕事を辞めないといけない覚悟をしてたから、何があっても大丈夫なつもり、なんだけど。

保健所が現場検証をしたとか、当分の間、該当者はマスクをしていたとか、誰(私)とわからないように検診の通知を出したけれど、もちろん私だと皆知っていて噂になっているとか。検診該当者ではないけれど、自主的にやりたいという人も出てきたとか。色々な話を聞く。

マニュアルはあったけれど初めての発症者らしく、大騒ぎだったらしい。大変な事になっていたんだな、とかなりへこんでしまう。さらに、他の問題もあって、それがもっともな事でさらに大きくへこむ。

事務方の方や一番対応にあたってくれた先生はとても優しく、今後について相談する。

一応4月からは復帰する+仕事を減らす方向で話がまとまる。

ぐったり。。。