2011年8月29日月曜日

変化

病院にくるとほんの少し、モードが変わる。

いつもはぼーっとしているのに、
しゃきっとして、やたらと動きたくなる。
入院したとき、 「ここはしっかりして、乗りきらないと」
と思ったから身体が反応するのかしら?

いや、違うかも。

見た目はいたってふつうの公立病院なのだけど、
とても評判がよいし
病院がもっている気がいいのかも。

外来7

やっと病院へいってきました。

久しぶりということで身長・体重・血圧、体温、レントゲン。
きいてないわー。体重増えているし。。

主治医の先生がいらっしゃらなくなってから
さぼっていたのだけれど、今日は違う先生。
 CT、レントゲンともに過去のと比較しながら
色々と説明をして頂く。

先生「前回(1月)よりきれいになっていますね。この白いところが減っているでしょ?」
私「あ、ほんとですね。でも。。」
先生「?」
私「(今日より)1年前の方が胸の写真がきれい。。」
先生「これは(病院の画像システムが)写真がフィルムから
デジタルにかわったせいだとおもいますよ。」

入院時の(1年半前の)CTもセルアニメ形式でみせていただく。
空洞は相当大きく、それをうけて、
肺もひきつれて縮んでいた。

縮んでいたところは今は回復しているけれど
当時、ダメージが大きかったのね。

退院後の(1年前の)CTでは穴はふさがっているけれど
まだ白い部分が若干残っている。
 
私「白い部分は傷跡みたいなものですか?」
先生「怪我をしても傷跡ってのこるでしょ?だから段々消えていくと思いますよ」

聴診も問題なし。

先生「次は半年後にきてくださいね」
私「病院にこないと保健所から連絡があるんですけれど」
先生「ドロップアウトした思われるから、しばらくは」
私「でも、もう他の人への感染とかは大丈夫なのですよね?」
先生「それは大丈夫。そうでなかったらでれません」
私「再発は?」
先生「3%以下位」
(元主治医の先生1%っていっていたんだけど、、。)

そういえば。大事なオーダーがあった。

私「あの、私、投薬続けているのですけれど」
先生「え??」
私「ピドキサール。。。」
先生「なんで?」
私「ピドキサールのむと、ホルモンバランスの調子がいいんです。入院以来よくなって(汗)」
先生「これはビタミンだから、サプリでもいいんですよ。半年とかはだせないので」
と2カ月分出して頂いて終了。

新しい先生も丁寧で優しい方でよかった。

次回は来年の2月です。 

2011年8月25日木曜日

続 保健所

さらにメールがきた。
病院から健診にいってないと連絡があったらしい。

「お忙しいかと思いますが、お身体が一番大事なので
健診を受けてくださいね。」

うーん、優しい。・゚゚・(´_ゝ`)・゚゚・

といっても、私がさぼっているのは連絡がいくのね。

早目に受診します。

2011年8月19日金曜日

保健所

保健所のSさんからメール。

経過の様子伺いなのだけれど、
Sさんのとても優しい人柄がにじみ出たメール。
あと1年トレースがあるらしいのだけれど、
Sさんが担当で本当によかった。

とりあえず、5月の健康診断結果で無事だった
ことを強調しつつ、近況を報告。

2011年8月15日月曜日

延期

やっぱり、患者会は延期。

4人のスケジュールがすんなりあうことってなかなかなくて
結局9月20日に変更。

懐かしいい。会えるの楽しみ。
患者仲間はとても温かくて、優しい。

同病会の連絡に便乗して
患者仲間のIさんから美容液を購入(超特別価格で)

夏ももう終わりに近づいているけれど、
わりと集中した時間がとれて作品がつくれるのが嬉しい。

2011年8月10日水曜日

文体

絵本翻訳講座に通っていたら自分の文章のくせがよくわかった。

先生もクラス仲間も口をそろえていうのは
「完結。」

もっと感情とか内容とか色々いれたいんだけど、
自然な文章を書くことができないのよね。

どんな人もマネから入るらしいので
好きな文体を探そう。

2011年8月2日火曜日

夏バテ

今年は涼しいのだけど、とてつもなく調子が悪い。

体調が悪化に続き、PMSが最悪。
最近、症状がなくなってたのに。

去年の夏と同じだから、嘆いていないで
スイカとか、花火とか、海水浴なみの
夏の風物詩と思うことにする。

2011年8月1日月曜日

患者会

そろそろ患者会を開催することになった。
お盆あたりに中華街で。

今回はIさんのおすすめの老舗で開催。
病気になってから、1年半が経ち
それぞれ年代もやっていることも全く違うのだけど
たまに会えると嬉しい。

みんなの話をきくのが楽しみ。

最近、久しぶりの友人に会うことが多いなー。お盆だし、リユニオンの時期なのかしら。

それにしても体調が悪すぎ。
活動を大幅に減らさざる得なくなってきた。